11月の今回は
花をいけてみよう、お花をいけるちょっとしたコツ
ということで、ご自宅のお内仏(仏壇)にいけるお花について
お話と、実践を行いました。
この一年いろんなテーマでまさしく「行い」をしました。
最終の今回は、お花をいけるということで、
池坊の立華についてのお話のあと、簡略化したいけ方にチャレンジ。
見ていると簡単そうだったのに、実際やってみると意外と大変でした、
といったお声もありました。
最初から全部をしようと思うと負担になるので、できるとことから、
今回は特別な時にいけるいけ方だと割り切って、普段は普段使いでいける、
などの違いをはっきりつけていくとよいのではないかと感じました。
来年もこの企画は続けたいと思います!
10月の今回は、
念珠を作ってみよう~自分だけの念珠ってステキ!
をテーマに、腕輪念珠作りをしました。
その前には、今回から『正信偈』の書写本 を書いて行く時間も始めました。
この書写本は自分で和綴じをすることが出来、本当に自身だけの正信偈本が
出来上がります。現在正法寺のご門徒さんに配布していますので、
関心のあられるかたはお知らせください。
そして、念珠作り・・・。
今回は初めての方も参加者が多く、
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10月3日
今回の正法寺キッズは、
まず、前回からの復習で七高祖の名前を確認しました。
次にどこでお生まれになったのか?
9月28日のおこみち(行いがわたしを導く時間)の資料を使い、説明しました。
後半からはレクリエーションで、新聞紙フリスビーを作成しました。
参考にしたのはコチラ。
http://www.higashihonganji.or.jp/oyc/child/game/archive/11.php
作成後はお寺の境内にて飛ばし合いをしてみました。
だれが遠くに飛んだかな?
運動会前日ということで、あまりアクティブなことはできませんでしたが、
みんな楽しそうに参加してくれてうれしかったです。
文責:坊守・法務員木村
以前紹介した、土井善晴著「一汁一菜でよいという提案」のことを再び考えています。
そして、この本は誤解され易い本だと気づきました。
「一汁一菜でよいという提案」という名前だけ見てしまうと、「粗食のススメね」、とだけ思われる可能性もあります。
勘違いされる原因に、一汁一菜という言葉が「単純すぎる・明快すぎる」というのがあるのではないか?
と思います。しかもこの本は、最初の方で結論から書かれています。
「毎日、毎食、一汁一菜でやろうと決めてください。考えることはいらないのです。(省略)
「それでいいの?」とおそらく皆さんは疑われるでしょうが、それでいいのです。
わたしたちは、ずっとこうした食事をしてきたのです。
(「一汁一菜でよいという提案」より)
最も大事で伝えたいことを、最初に言われているのです。
大事なことを最初に言う?これ、どこかで聞いたことがあります。親鸞聖人の「正信偈」です。
親鸞聖人が書かれた「うた」であるところの「正信偈」
その冒頭は、
「帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい) 南無不可思議光(なむふかしぎこう)」
という文句で始まります。ラブレターだとするなら、いきなり「あなたが好きです」
と結論から書くようなもので、この二行にはすべてが入っています。
この二行は「南無阿弥陀仏」という言葉と同等だから、「ナムアミダブツ」でよいという提案でもあるでしょう。
「それでいいの?」とおそらく皆さんは疑われるでしょう?というところも人間の「疑」という問題において近いのです。
どうしても人間は疑います。「南無阿弥陀仏だけでよい」なんてすぐには信じられないのが人間です。
土井先生の本に戻ると、「一汁一菜でよい」とすぐには思えないのが人間です。いや、そうではないよ。
わたしの経験と、身体で受け取ってきた感覚でそれを証明できます。というのが土井先生です。
先生は「よいものは軽くてシンプル」ということをよく仰います。
だからこそ述べられる結論はいたって明快なのです。
ただし、そのあとは深く広い世界が広がっている本です。
文章も論理的なものが続くので、一度読むだけで直ぐ全ては理解できません。
一方、たくさんの経典を読み、そこからの解釈を伝えてくださった方が親鸞聖人です。
その真実を「言葉」だけで理解していくのはなかなか困難なことです。
でも、本当はまず「南無阿弥陀仏」と称えてみるだけでいいのでしょう。まず自分が。一人で。
同じように「一汁一菜」を作ってみればいいのでしょう。
まず自分が。一人で。でもできないのです。「疑い」があるから・・・。
土井先生は言われます。
「今は何でも専門家でなければその道のことをやってはいけない、話してはいけないようになっています。」と。
専門家に感動し、自分もやってみよう、そこでの経験を表現してみよう、でよいのです。
先生が著書で伝えているのは、身体感覚を信じよ。ということだとも思います。
だから土井先生は四の五の言わずに家庭料理作りに徹してきた「お母さん」への信頼が深いのです。
まず作ってみる。まず、念仏してみる。そして、そこから深く広がっていく世界の深さを、訪ねてみませんか?
題名のある連載を始めることにします。一回目は「南無阿弥陀仏からはじめよう」。
真宗門徒からお念仏の声が聞こえなくなったと言われるようになりました。
世代の違う家族が共に暮らさなくなっているのですから、
お念仏が伝わらないのも仕方がないようにも思います。
そこであえて、お念仏する習慣のススメ、をします。
ご自宅のお内仏(仏壇)の前でお参りをされる際、
声に出して「南無阿弥陀仏」とお念仏されていますか?
「南無阿弥陀仏」は称えたから病気が治るとか、運がよくなる、というようなものではありません。
ではどういうことか?というのはおいおい考えていくとして、
まずお念仏を声に出してみよう、ということを提案します。
「何回称えるのですか?」と聞かれることがありますが今回は、
息が続く限り称えてみる、身体の中の空気が出てしまうまで言い続ける方法をおススメします。
言い方は「ナムアミダブツ」でも「なまんだぶ」でもよいでしょう。
お念仏をしたら何か変化が起こるというわけではないと書きましたが、
身体の中にある空気を全部出してしまうことはその後の「吸う」動作に少なからず影響を与えます。
それがどんなものかは、まず声を出してお念仏してお参りしてみなければわかりません。
まず兎にも角にも声に出してお参りする。
朝夕に正信偈を読むのが難しいという方でも、これならできるのではないでしょうか。
出来る限り毎日、息を吐き切る時間を意識的に持つ。ナムアミダブツと声に出してみる。
どうですか?やってみませんか?