真宗大谷派 専念山 正法寺

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よくある質問正法寺に寄せられる質問にお答えします。

法事を料亭やホテルでできますか?

結論から申しますと、できません。

法事の後のお斎(会食)の事もあってか、料亭やホテルを希望される事と思います。

しかしながら、正法寺におきましては、ご自宅かお寺での法事のみ承っています。ご了承ください。

親族が亡くなったのですが・・・
連絡

お寺、葬儀社へ連絡をします。

枕勤め

ご自宅や葬儀場にて枕勤めを行います。
※この際に通夜、葬儀の日程を決めます。

通夜
葬儀

葬儀終了後、お寺へ連絡し三日参りの日程を決めます。

三日
参り

お寺にて、勤行やお話(法話と今後の相談)を行います。
※三日参りは原則、葬儀の翌日になります。

法事のお願いは電話でもできるのですか?

はい、できます。お日にちがおおよそ決まられましたら、できるだけ早めにお電話下さい。必ずしもご希望に添えるとは限らないので、お斎などお店への手配はお寺との調整がついてからお願いします。

法事は遅れるより早い方がいいのですか?

当日に出来るにこした事はないですが、皆様が集まれる時にして頂ければ早くても遅くても良いです。一番重要なのは、たくさんの方が法事のご縁に遇える事です。生きている我々が亡き人のご縁で仏法を聴ける身になること(手が合わさる事)が重要なのです。そのためのご法事です。

焼香の作法

仏事で行われている焼香の作法は、宗派によって異なっています。
正しい作法について疑問に思われている方も多いようですので、真宗大谷派の焼香の作法についてご紹介します。
(参考資料『真宗の仏事』)
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仏壇を購入後、魂入れをお願いできますか?

よくこういったお問い合わせをいただきます。

真宗ではお仏壇のことを「お内仏(ないぶつ)」と呼びます。

呼び方は、安置されたご本尊(阿弥陀如来)の方に重きをおいた言葉です。「お内仏(ご本尊)」を中心とした生活をしてきた真宗門徒ならではの呼び方だと言えます。

お内仏を新しく買い換えご本尊をおむかえする際は、「入仏」のお勤めをします。その際、亡くなった人を祀(まつ)ったり、ご本尊に新しい魂を入れたりするわけではありませんので、「魂入れ」といった呼び方はしません。「入仏法要」「おわたまし」などの呼び方をします。「御渡座(おわたまし)」とは、「渡って座す」、移って安置されるという意味です。自宅に本尊を安置し、新たな聞法生活を始めるというおめでたい法要になります。

また、安置する場所や方向についての様々な迷信については特に気にする必要はなく、落ち着いた中で礼拝できる場所を選ばれるのがよいでしょう。

お内仏(お仏壇)を新しく求められる際、ご本尊はできる限り本山からお受け下さい。

お寺にて受付しております。

「法名」と「戒名」は違いますか?

「法名(ほうみょう)」も「戒名(かいみょう)」も、ともにお釈迦様の教えに帰依する仏弟子としての名前です。

このうち「戒名」は、戒律を守り実践していく出家者の名前で真宗以外の宗派で用いられます。厳しい戒律を守って仏道修行を積むことで、思い通りにならない我が身をどう生きていけば良いのか考えていこうとする求道者の名前と言えます。

これに対し「法名」は、仏法を聞いていく身になるという仏弟子の名のりで、浄土真宗でのみ使われる言葉です。何一つ厳しい戒を守っていく事のできない私たち凡夫が、お念仏を中心とするお釈迦様から脈々と説き継がれてきた教え(法)を聞いていくことで、自らの生き方あり方というものを問うていく求道者となるということです。ですから「法名」(ならびに「戒名」)は、死んでからの名前ではありません。むしろ生きている間に帰敬式を受けて、いただくものです。しかし、生前に帰敬式を受ける機会のなかった人には、亡くなられた時に住職が法名をつけます。法名は、老若男女を問わず釋(しゃく)という文字が名前のあたまについています。それは釈尊の弟子(仏弟子)になったという事を意味します。

「御文(おふみ)」って何ですか?

本願寺第八代蓮如上人が、ご門徒たちに宛てた「御手紙」で、真宗の教えがわかりやすく、しかも簡潔に書き表されています。
当時(室町時代)の「御文」は、ご門徒に広く公開され、法座につらなった読み書きができない人々も、蓮如上人の「御文」を受け取った人が拝読するその内容を耳から聴いて、聖人の教えを身に受け止めていかれました。
その中から八十通を五冊にまとめた「五帖御文(ごじょうおふみ)」が最もよく知られています。
法要の際は僧侶が外陣に降り御文を読み上げます。
参詣者はハイ読者が御文を頂戴するのに合わせて頭を下げ、頭を下げた姿勢のままお聴きします。

なぜ「法話」をお聴きするのですか?

法要で勤めるお経には、お釈迦様が苦悩する様々な人々に説いて回られた教え(お説法)が書かれています。
その教えを分かりやすく伝えるのが「法話」です。
お釈迦様は、私たちは煩悩に振り回され生きている身だと説かれます。
親鸞聖人も又、罪悪深重(ざいあくじんじゅう)の凡夫(ぼんぶ)という言葉で人間の有り方を示されました。
皆さんは自分のことは自分が一番よく知っていると考えておられるでしょう。
しかしそれは自分の都合の良いように見た「私」ではないでしょうか。
教えを聞く事、それは自らの力では出遇う事のできない真実の自分に出遇っていく事です。
慌ただしい日々の中、自分との出遇い直しの場を持つ。それが「法話」の時間です。
法要の際はぜひ「法話」までお聴き下さい。

講頭(こうがしら)さん、とは??

お寺は代々地区ごとの集まり「講」の支えによって護持されてきております。その講の世話人さんの事を講頭さんと呼びます。講頭さん方には維持費集金・案内・新聞等の配布の他、 行事の開催等にもご尽力いただいております。

よく見かける道具について教えてください。

隣りに座った方の使っておられるものについて尋ねられる事があります。主に下の写真の2つについてです。
輪袈裟・大谷声明集の写真
画像の右にあるものは「肩衣(かたぎぬ)」と言い、仏事の際、首からお掛けするものです。また、略肩衣をお持ちの方は、お寺の法要はもとよりお家での法事など、仏事全般での正装になりますので、ぜひ着用しましょう。画像の左にあるものは「大谷声明集(おおたにしょうみょうしゅう)」と言い、僧侶が勤める少し読み方が複雑なものが載っています。数を重ねられ、一緒にお勤めされたい方などが使用されています。どちらもお寺で購入できます。

法要には何を持っていけばいいですか?

基本的なものは写真の2つです。
法要に使用する道具
この2つを持ってきてくだされば、十分という道具です。勤行集は、通常「赤本(あかほん)」と呼んでおり、『正信偈』の同朋奉讃式が載っています。一重念珠の持ち方は下の写真を参照ください。
一重念珠の持ち方|二重念珠は思い法要の際に用います。
仏事に関わる道具は直に置かず、布や紙などをひいて置くなどして丁寧に扱うようにしましょう。

「真宗」と「浄土真宗」は違うのですか?

浄土真宗は10の宗派に分かれており、そのうち本願寺派(西本願寺)だけが『浄土真宗本願寺派』」と、法人としての正式名称に「浄土真宗」がついており、他の9派は『真宗〇〇派』と「真宗」のみがついています。正法寺の属するのは、京都の真宗本廟(東本願寺)を本山とする『真宗大谷派』ですので、「浄土真宗」と呼ぶよりも、「真宗」と呼ぶことの方が多いかと思います。ですが呼び方が違うだけで、この二つは同じものと考えていただいて結構です。浄土真宗の十派については、毎年配布しております「法語カレンダー」が十派による『真宗連合』が発行しておるものですので、一度表紙をご覧になられて下さい。十派すべてが掲載されております。

仏前でリンは打つの?打たないの?

お寺のご本尊の前や自宅のお内仏(仏壇)の前に座わられると、目の前にあるリンを「チンチーン」と打たれた後に合掌・お念仏される方が多いようです。テレビなどの影響も大きいのかもしれませんが、神社参りなどの作法も関係しているのでしょう。「ご先祖さまや仏様をお呼びしている」という「呼びかけ」の意識もあるのかもしれません。しかし本来リンというのは、読経の前後や中間に合図として使うもので、むやみに打つものではありません。ですのでご本尊の前に座りご本尊を仰ぎ見て合掌し、声に出して「南無阿弥陀仏」とお念仏するのが最もふさわしいでしょう。

中陰が三月にまたがる事はよくないのですか?

正法寺では葬儀後の三日参りの際、この質問をよくお受けします。中陰とは葬儀・告別式・還骨勤行(かんこつごんぎょう)をすませた後の四十九日までの期間を指します。初七日から七七日(満中陰)までのことです。月の真ん中以降に亡くなられた場合、四十九日の法要は翌々月になり、中陰の期間が三月にまたがるのですが、その事を心配される方が少なからずおられるという事です。この心配事の原因は諸説あるようですが、中陰の期間を「始終(しじゅう)苦(く)(四十九)が身につく(三月・みつき)」と捉え、「死」という事を自分のそばに置かないように、身につかないようにとした考えが根底にあるようです。しかしそうであるならば、三月を三か月(さんかげつ)と言い換えればよい事にもなります。浄土真宗における中陰とは、亡き人を偲ぶと共に「私自身を見つめる」期間であります。亡くなった方への思いを手掛かりに「私自身もまた死にいく身である」という事実に目覚め、今の自分自身の生き方を見つめ直す。その様な期間です。決して死を忌み嫌うという事はありません。ですので、語呂合わせの心配事にとらわれずゆっくりと亡き人に思いをはせ、自分自身の「生死」を問い直す、そのような中陰期間を過ごしていただきたいと思います。